8月上旬から、母の9歳の愛猫、みゅう(♀)が体調を崩していました。
長野県で独居している母から、
「ご飯を食べない、吐いてしまう」
と連絡があるたび、
「鯖の水煮でもいいから、おいしそうなものを少量、目の前に差し出してあげて」
とアドバイスしていました。
それでも食べれなかったようで、
8月16日(火)
地元では1番設備が整っている動物病院に入院しました。点滴で補液したら少しご飯が食べれたようでしばらく預けることに。
8月20日(土)12:00
嘔吐が激しいので、エコー検査をしたところ、膀胱に3センチほどの腫瘍があり、重篤な状態だと先生からいわれたと、母から泣きなら電話がありました。
オットに相談したら、
「すぐにお母さんのところにいってあげて」
と言ってくれたので、
16:00新宿発のバスに飛び乗り、
長野県の地元に向かいます。
(実家までは高速バスで約4時間、新幹線は通っていない…)
着いたら20時過ぎだったので、
その日は母をなだめ、翌日面会にいくことにし、就寝。
21日(日)
午前中と、夕方、2回面会に。
点滴につながれており、力なく、だるそうに横たわっているみゅう。
22日(月)は院長がいるので、病状、今後について詳しくお話ししますとのことで、その日はみゅうを預けたまま、病院を後にしました。
22日(月)
予約していた11時に病院に向かいまして、
院長が病状を説明してくれました。
・膀胱の腫瘍のある場所は、血管と神経が集中している部分で手術ができないこと。
・入院した時点でかなり病状は悪かったこと
・腫瘍が大きくなってしまい、命をつなぐための点滴すら、腹水になって身体にたまっていってしまうこと。
・今の入院は延命治療でしかなく、治る方向に持っていくことはできないこと。
・入院で延命できても、長くて1週間。
現実に直面した母は、途中から嗚咽をもらして号泣し、「どうしたらいいの…どうしたらいいの…みゅうちゃんがいなくなっちゃうなんて、いやだ…」と、泣きじゃくって医師を困らせました。
私は、
「今の入院は延命でしかないか?」と聞くと、
「延命でしかない。連れて帰り、輸液は通院でできるから、それ以外の時間は、飼い主さんのもとで、穏やかに過ごさせてあげるというのも選択肢です」
と院長がおっしゃるので、
「私が輸液に連れてくるから、もう連れて帰ろう」とうながすと、母は泣きながら、「連れて帰りたい…」と。
みゅうをケージに入れて、助手席の母の膝の上に乗せ、病院から車で15分ほどの家へ、慎重に車を走らせます。
みゅうは、ケージの中で横たわったまま、苦しそうに呼吸したり、何度かえずいたりしていましたが、あと1キロほどで自宅に着くというところで、突然、ガサガサと起き上がり、座り、数秒感、母を見上げました。
それが、彼女から母への精一杯の最期の挨拶だったのだと思います。
自宅に着き、母が「お母さんのベッドの上に一緒に横になれるように場所を作るから」と急いで家に入って行き、私はケージのみゅうを家の中に運び込みます。
その時はまだ、確実に生きていました。苦しそうだけど呼吸で上下する体を確実に見ました。
玄関を入り、母の寝室へ運び入れ、母が寝床を完成させるまでが、わずか数分。
「さぁ、できたよ。一緒に少しねんねしよう」と母が言い、私がケージを開けて、みゅうを抱き上げると、その体は温かいのに、もう力が入っていませんでした。
母の作ったみゅう用の寝床に横たえながら
「待って。もう、動かないかも…」と言うと
母が不思議そうな顔をします。
「だって、体のどこにも力が入っていないの。お腹もさっきまで早い呼吸で上下していたけど、今…動いてないよね?」
と言葉にするとようやく母が
「死んじゃったの?…」と呟きました。
私はみゅうの身体中をさすり、どこかに「生」を感じることができる場所はないかと、必死で探しましたが、もう息をすることはありませんでした。
「だめだ…もう動かない」
私が絞り出すように言うと、母は、
「いやだ!いやだ!みゅうちゃん。ママをひとりにしないで…もっと一緒にいたい…」と
嗚咽を垂れ流しながら泣き叫んでみゅうにしがみつきました。
「おうちに帰りたかったんだね。おうちに入って、いつもの匂いを嗅いで、大きく深呼吸して安心したんだね。病院では絶対死ねないと思って、家に着くまで頑張ったんだね。偉いね。ほんとに猫は賢いねぇ…」と、
私も泣きならみゅうを抱きしめました。
8月22日、奇しくも母の74回目の誕生日でした。巡り合わせ、縁ってあるんでしょうね。みゅうは、母の誕生日を祝ってから星になったんだと思います。
私はあの時、温もりはあるけど、もう呼吸がないみゅうの体を抱き上げた感触が、忘れられません。
それは、とても悲しいのだけど、とても気高く、尊く、今我が家にいる子たちにいつかこういう瞬間が来ても、私は恐れず必ず正面から受け止めて、抱きしめたいと、強く思いました。
動物の生死はなんて尊い。
翌日、ペット用の火葬場に行き、
小さな棺に花をいっぱい散りばめ、フードを持たせ、15年ほど前に亡くなった母の先代猫の写真を持たせ、
「先に行って待っててくれるはずだから、
この子を探すんだよ」と声をかけました。
母は、
「バイバイ、みゅうちゃん」なんて言うから、
「バイバイじゃないでしょ。こう言う時は『またね』って言うんだよ。いずれみんなそっちに行くんだから。また会おうね、だよ」
と諭すと、
素直に
「またね。みゅうちゃん。先に待っててね。また会おうね」
と言って送り出すことができました。
ペットを飼う我々は、いつだって、人間とは違う生体の神秘を見ながら暮らしています。
その癒しに、尊さに、奇跡に、
日々感謝しながら暮らしていこうと思います。
私たちが、ペットを選んだのではなく、彼らが我々を飼い主として選んでくれるのだから。
ありがとう。みゅうちゃん。またね。
すみません。
明日から普通の料理ブログです!
※急遽「お休みです」って更新したら、
それはただのサボりです!